河井寛次郎1890-1962
島根県生まれ。
陶芸を志し、東京高等工業学校で窯業科学を学んだ後に、京都市陶磁器試験場に入所しました。そこで、中国陶磁を研究しているところに、母校の後輩である浜田庄司氏が入所し、一緒に研究に励みました。その後、鐘渓窯を開いて独立し、李朝初期の陶磁器を範とした作品を手掛け名声を高めた一方で、技巧本位の陶芸に疑問を持つようになりました。その頃に庄司氏の紹介で柳宗悦氏と出会ったことで、用の美の世界の探求に身を投じることとなりました。
鉄釉や呉須などの生活陶が持つ実用性と力強さの魅力を引き出す作風を確立したのちに、スリップウェアの発展型としての流描きや釉薬を打ち付けた打薬など様々な技法を駆使して、豊かな発想力のある造形と意匠とを凝らした作品を世に送り出しました。「民芸」の分野で人間国宝認定の打診もありましたが、固辞し生活に寄り添った美を追求し続けました。
陶芸を志し、東京高等工業学校で窯業科学を学んだ後に、京都市陶磁器試験場に入所しました。そこで、中国陶磁を研究しているところに、母校の後輩である浜田庄司氏が入所し、一緒に研究に励みました。その後、鐘渓窯を開いて独立し、李朝初期の陶磁器を範とした作品を手掛け名声を高めた一方で、技巧本位の陶芸に疑問を持つようになりました。その頃に庄司氏の紹介で柳宗悦氏と出会ったことで、用の美の世界の探求に身を投じることとなりました。
鉄釉や呉須などの生活陶が持つ実用性と力強さの魅力を引き出す作風を確立したのちに、スリップウェアの発展型としての流描きや釉薬を打ち付けた打薬など様々な技法を駆使して、豊かな発想力のある造形と意匠とを凝らした作品を世に送り出しました。「民芸」の分野で人間国宝認定の打診もありましたが、固辞し生活に寄り添った美を追求し続けました。
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